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1■ プロローグ

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 たぶん僕はもうすぐ死ぬ。

 それはわかっている。

 すでに足を前に進めることはできなくなっているし、さっきうっかりと座り込んだら、身体が地面に張り付いてしまったように動かなくなった。立ち上がることさえできない。地面の奥深くまで根付いた植物のように、僕の身体は、この場所に固定されてしまった。

 右手は震えがおきて、まともにペンさえ握れなくなっていたから、こうやって声をほら貝の中に閉じ込めておく魔法を覚えていたのは幸運だった。習っていた時はこの魔法を使うところを想像できなかったのだけれど、まさかこんな形で役に立つことになるとは。

 この魔法はいつまで保つだろうか? 僕の精神力はいつまで続くのだろうか? 

 全てを記録することが、果たしてできるのだろうか?

 そして何よりも、君にこんなメッセージを残しておく権利が、僕にはあるのだろうか?

 もしかしたら、君に伝えたい、という思いは高慢以外の何者でもなく、素直にこのまま黙って土くれに戻るのが正しい選択なのかもしれない。この記録を受け取ることで君の心に影ができるだろうということは、僕にだって十分にわかっているのだから。

 君の幸せを願っているはずなのに、僕は今、それに矛盾した行動を起こそうとしている。

 

 ――本当にいいのか?

 

 まだ決められない。この記録を残すかどうかは、まだ決められない。最後まで話し終わったとき、どちらかを選ぼう。

 残すか。

 破壊するか。

 だから、これはまだ記録とは呼べない。君に向かって話しかけているけど、僕以外の誰にも知られぬままに、この月の上で風化していくかもしれない。ただ、万が一。万が一これが僕の死後も残り、やがて君の元へ届いた時のことを考えて、今は精一杯話そう。

 僕が歩んできた道の話を。

 月までの道の話を。

 

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2■ 刑務所

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 僕が刑務所に入っていたことを、もしかしたら君も知っているかもしれない。刑務所と言っても、大人が入るそれとは違って、同年代の少年たちしかいない場所だった。ちょっと校則が厳しい学校を想像してくれたらいい。食事はみんな同じだけど、そこまで不味くはなかったし、本も読めた。刑務所の外から先生が来て勉強を教えてくれて、昼休みには中庭でバスケットやサッカーをした。

 悪くないだろ? ここにいるやつらは、殺人なんていう大きな犯罪を起こしたのがほとんどだったけれど、自分の罪さえ忘れてしまうようなやつがたくさんいたよ。それが狙いなのかなって思わせてしまうほどに、僕たちの待遇はよかったんだ。

 ああ、今覚えている魔法のほとんどは、ここで学んだんだよ。それまでの僕は、身の回りのことを自分で何かしようとは思わなかったから、せいぜい趣味に使う魔法を覚えていたくらいだった。正直、失敗だった思う。もし、僕が様々な魔法を使えていたとしたら……結末は変わっていたんじゃないだろうか。今よりも、もう少しマシな結末――それを望むのは贅沢かな? 

大きな変化じゃなくていい。ほんの少しでいいんだ。せめて最後に君の顔を一目でも見ることができたならば、それだけで僕の心は周りに広がる星の海のように澄み渡るのに。

 

 

 

 ごめん。少し眠っていたみたいだ。もう時間の感覚がわからないから、もしかしたら丸一日ぐらい気絶していたのかもしれない。どちらにしろ、起きることができてよかった。

 今度眠ったら二度と目が覚めないんじゃないか……そう思うと、やっぱり怖いものだね。

 うん。そうだ、楽しい話から始めよう。

 刑務所でできた、僕の友だちの話だ。

 刑務所に入っていた期間は3ヶ月ほどだけど、まるで十年前からずっと友だちであるかのように、僕たちは仲良くなった。外の世界で生活していた時には、友だちと呼べるやつなんてほとんどいなかったのに。

 彼が僕に話しかけてきたのは、ちょうど刑務所で三回目の夕食を食べていた時だった。

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3■ 夕食とウルフ

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「この席、いいかい?」

 彼は、焼きすぎて噛み切れなくなった肉と格闘している僕に声をかけてきた。正直に言うと、鬱陶しかった。ただでさえ、集団生活を強いられているんだ。わざわざ、食事の時まで他人とつるむ必要はない。

 だから、僕は最初彼の言葉が聞こえていないふりをしていた。嫌な奴だって、普通は思うだろうね。

 予想通り、彼は言葉に詰まった。

 僕以外にも、話し相手になるやつはたくさんいる。そして、その大部分は僕よりも愛想があるだろう。相手にしなければ、彼もすぐにそういったやつらの所に行ってくれると思っていた。

 でも、それは僕の考え違いだった。彼は、おもむろに席に座ると、僕の態度はお構いなしにいきなり自己紹介を始めたんだ。

「俺のことは、ウルフって呼んでくれよ。あっ、さすがに本名じゃないぜ。あだ名っていうか、俺の本性をよく表した名前っていうか。ま、とにかく恰好いいだろ?」

 そう言って、フンと鼻を鳴らした。

 ウルフ――君なら恰好いいと思うかい? さすがに辛いだろう? 君は優しいから、もしかしたら話を合わせてあげるかもしれないけれど、あいにく僕にはそれほどの度量がなかった。二度と僕に話しかけてくる気が起こらないようにするために、彼の方へと顔を向けたんだ。

「あんたの名前も教えてくれよ」

 初めは、そう言っているのが目の前の男だと思えなかった。

 あの自信たっぷりな台詞から想像した彼の姿は、熊のように毛深くて、腕は丸太のように太い、まさに荒くれ者の代表格のようなやつだ。けれど、僕の前に堂々と座っている(少なくとも本人はそう見せようとしているらしい)のは、それとは程遠い、風が吹けば綿毛にのって飛んでいけるんじゃないかって思わせるような男だった。

「なあ、そんなに嫌うなよ。これから何年も顔つき合わすんだぜ。せめて名前ぐらい知っときたいだろ?」

 その時の僕は、もう怒ってはいなかった。返事をしなかったのは、必死で笑いをこらえていたからなんだ。

 ああ、人の外見を笑うのがいけない事だっていうのはわかっているよ。君がそういうのを何よりも嫌っていることも、理解している。でも、勘違いしないで欲しいんだ。それは、嘲笑というよりも、むしろもっと好意的なものだ。そう、僕は久しぶりに他人に気を許すことができた。悪くない気持ちだった。

「僕の名前はショウだ」

「そうか! ショウ、よろしくな。これから、仲良くやろうぜ」

「ああ。ただ、1つだけいいかな?」

 僕には譲れないところがあった。

「あんたの名前……ウルフだったっけ? ちょっと呼びづらいからさ、縮めてウルでいいかい?」

 そう言うと、彼はニヤリと笑いながら、そんなことか、と鼻を鳴らした。

「何とでも呼んでくれや」

 よかった。僕は、心からそう思った。

 これからずっとウルフと呼び続けなきゃならなかったら、いつか間違いなく笑い死にしていただろうから。

 少し陳腐ではあったけれど、僕らは互いに握手を交わして友情の契約を結んだ。そして、ウルは刑務所の中で最初で最後の僕の友だちとなった。

 

 ここで、告白しておこうか。

 僕は、ウルと友だちになって本当によかったのか、今でも悩み続けている。最高の友だちは、時として最高の障害にもなり得るんだ。この時の僕は、気づいていなかった。いや、今の僕の状況を予測するなんてことは、神様じゃなきゃできなかっただろう。

 仕方なかった。運命というものがあるのならば、僕はひたすら流され続けることしかできなかった。

 詳しいことは、もっと後で話そう。話すころには結論も定まっているかもしれない。

 とにかく僕は、新しくできた友だちのことで久しぶりにいい気分だった。後にどんなことが待ち受けようとも、その気持ちだけは紛れもない真実だったんだ。

 

   

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4■ 月へ行かないかい?

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 月の話が出てきたのは、ウルと友だちになってから1ヶ月ぐらいたったころだったかな。

 ウルのひょろりとした容貌にも大分慣れてきて、彼が僕より5つ以上年上だってことも知った。あのころ僕は15歳だったから、20歳を超えている計算になる。もう立派な大人だ。そんな彼がどうして未成年と一緒に刑務所に入っているのか、何度も尋ねたけれど、ニヤリと笑うだけでいつもはぐらかされてしまった。

 ただ、不思議と年上っていう事を強く感じる時はあまりなかった。悪く言えば子どもっぽかったのかもしれない。勝負事にはすぐ熱くなるし、本を読んだらよく泣く。喜怒哀楽がはっきりと表に出てくる。僕とは正反対の性格だった。

 ちょうど朝礼で職員が月の話を始めた時もそうだ。ウルは昨晩ロビーで読んだ本を思い出しているらしく、涙目でグスグスと鼻をすすっていた。

「――というわけで、先発隊として月へ行ってくれる人を募集しています。ごく簡単な仕事ですので、ある程度の体力検査を受けてもらえれば、年齢制限などはありません。帰ってきたら、刑期の短縮、さらに報奨金もでますので、皆さんふるって参加してください。なお希望者多数の場合は――」

 まるで、ちょっとお使いに行ってきて、と言わんばかりの軽さだった。笑ってしまうだろう? 月という場所がどんなに遠くて、そこまでの旅がどんなに辛いものになるか、僕らは何も聞かされていなかったんだ。だから、屋根に上って手を伸ばせば届きそうなあの大きな月は、少し歩けば着いてしまうだろうって考えていた。

「なあ、ウル。すごいよなぁ。月だってさ」

 その時は、僕も例にもれず、月旅行に胸の動悸がおさまらなかった。まだ見てもいない月への道が想像の中でどんどん伸びていき、自分が悠々と歩いている姿が目に浮かぶようだった。光り輝く幻想的な道。そして、当然ウルも自分と同じように、月への憧れが胸に広がっているものだと思い込んでいたんだ。だから、彼の反応は意外だった。

「そおかぁ、俺はそんな面倒なもん行きたくねえがな」

「まあ、そりゃ少しは歩かなきゃいけないだろうけど、まだ誰も行ったことがないんだ。帰ってきたら、有名人だよ!」

「何ていうかなぁ、気にくわねぇのよ。そんな簡単で安全そうな仕事なら、どうして俺らを使う必要があるんだ?」

「それは……社会への復帰を早める、とか。ウルも気づいているだろ? この刑務所、やたら親が金持ちのやつとかが多い。だから、そういうチャンスが周ってくるのかも」

「じゃ、出来レースかもな。俺たちにの出番はない」

「夢がないなぁ。ちょっと希望を持つぐらい、いいだろ。何てったって、月なんだ!」

「月、ねぇ……」

 そんないいもんじゃねぇぞ、とウルが呟いたが、浮ついた僕の心にはその言葉の意味を深く考える余裕がなかった。もし、ここできちんと問い詰めていたら――って何かさっきから後悔ばかりだ。駄目だね、死が近づくとどうしても弱気になる。

 今の僕にはもう未来が見えないけれど、ウルと話していたときにパラレルワールドっていう言葉を教えてもらった。君は知っているかな? 過去にあった選択肢の数だけ世界は存在している。いい考え方だよね。僕が幸せそうに君と一緒に微笑んでいる世界もあるんだろうか? 僕には知る方法はないし、もう選択しなおすなんてことはできないけれど、そんな世界もあるかもしれない――そう思うだけで少しは救われる気がする。

 

 

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5■ 月と魔法

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 月への先発隊は、結局抽選で決まることになった。参加希望者は本当に膨大な数で、刑務所の人間の90%以上は申し込んでいたと思う。聞いた話じゃ、わざとに名前を書き違えて2重応募まがいのことをやっていたやつもいるみたいで、実際の申込書の数は110%というあり得ない数字になったそうだ。かく言う僕も、嫌がるウルを説得して、申し込ませていた。もちろん、ウルが受かった場合、仮病か何かを使って僕と交代してもらうためだ。

「1が2になったとこで、たいした違いはねぇよ。先発隊2人に対して、応募者は1000人超えてるんだ。それに、この前言っただろ、出来レースだって。おとなしく落ちとけよ」

「そんなのやってみなきゃわからないさ」

 そう言って、僕は新聞をめくった。言い忘れていたけど、ここじゃ新聞や雑誌もある程度自由に見ることができた。広々としたロビーには、数社の新聞とかなりの量の雑誌が置かれ、1週間に一度は交換される。残念なことに僕らが望むような刺激的な記事は大分除かれているけれど、外に出た時置いていかれない程度の情報は手に入れることが出来るんだ。

 新聞には、最近魔力を溜めているダムが枯れ始めていることについての記事や、半漁人などの人間の亜種迫害について書かれたコラム、動く4コマ漫画などが載っていた。不思議なことに、月についての記事は1つもなかったのだけど、きっと先発隊が帰ってきたときに大々的に発表するものだと思っていた。

 僕がその頃毎回読むようにしていたのは、『3日で覚える簡単魔法講座』。授業で習う基礎的な魔法に比べると、実践的な上にタイトル通り短期間で覚えられるので気に入っていた。

「おぉ、今日はパンを作る魔法か。いいじゃねぇか」

「材料もそこら辺にあるもので何とかなるしね。作ったら食ってみてよ」

「毒見役か? せいぜいジョークを言える程度のもの作れよ。この前の火のつくジュースは洒落にならんかったからな。あんなの見つかったらロビーに出入り禁止になるぜ」

 任せといて、と言って僕は笑った。

 思えば、心の底から笑えたのは、あの日が最後だったのかもしれない。

 ウルと馬鹿話をしながら魔法講座を読み進めて次のページに目をやった時、僕は凍りついた。僕が何を見たか、君にはもう想像がついていることだろう。それは、やり遂げた事で腑抜けていた心を鋼鉄のように打ち直し、月に行くという決意をさらに強固なものとした。